フランス通信(169) 霜月                Paris, le 11 Nov.2019

 

*11月に ( AU MOIS DE NOVEMBRE ) : 秋も深く、朝夕に濃い霧が立ち込めることもあり、雨も降って、大気が冷たく湿気を帯びて枯葉を益々進めています。木の葉ってこんなに沢山あるものかと妙に感心する程、まだまだ枯葉が散っては地面を覆っていきます。大雨でも降れば大変、落葉が下水道に流れ込んで詰り、街が洪水になることもありますから、市の係りの人は大忙し、大きな音のする掃除機の兄弟分のような機械を背負って、落葉を隅の方に吹き寄せては大きな袋に纏めていきます。111日は「諸聖人の祝日」(la Toussaint)、聖人とはカトリックの列聖された人達ばかりを指すのではなく、天国へ行った(であろう)人は皆聖人であるとの思いから、故人を偲ぶ為にお墓参りをする慣わしに、花屋さんの店先には色とりどりの菊の花が並べられています。歩道の落葉や停まっている車の屋根などに薄っすらと白く霜が下りるのも間もなくです。

 

*「レオナルド・ダヴィンチ」展 ( Expo. « LEONARD DE VINCI » ) : 「世紀の展覧会」と云われるダヴィンチ没後500年を記念する大回顧展がルーヴル美術館にて開催中です。本名Leonardo di ser Piero da Vinci, 1452年トスカナ地方ヴィンチに生まれ、14才でヴェロッキオの工房に入って絵画の修行、その後フィレンツェやミラノで活躍、“フィレンツェの天才”(le génie florentin)と呼ばれていましたが、151664才の時にフランソワ1世の招きでアルプスを越えてフランスに到着、ロワール河のアンボワーズにあるクルー館(現在ではクロ・リュセ城)(le manoir de Cloux = le Château du Clos-Lucé)に滞在、1519年にアンボワーズで亡くなって今年で500年を数えます。今回の開催にあたっては、イタリアが同様に回顧展を行ったことからフランスは開会を延期、ルーヴルが所蔵する作品を貸与したりしましたが、最近になってイタリア政府の態度が硬化して「ダヴィンチは“イタリア人”であり、「モナリザ」も“イタリアのもの”だから、故郷イタリアに返して欲しい、、、”という極端な意見が出たり、今回展示している“ヴィトルヴィウス的人間”(l’Homme de Vitruve)(建築家ヴィトリューヴの理論に基づいて人体の理想を描いた足を広げた男のデッサンとメモ)は1024日開会1週間前の1016日になってやっとイタリアが許可するなど、開会寸前まで問題があったようです。しかし今回は、ルーヴルが所蔵する作品を中心に、フランス銀行の地下倉庫に保管されている自筆のメモやノート、フィレンツェのウフッツィ美術館やウインザー宮の英国王室コレクション、等、絵画、デッサン、クロッキー、彫刻、美術小品、等160点近くが展示されています。よく知られた作品としては「受胎告知」(l’Annonciation)、「岩窟の聖母」(la Vierge aux rochers)、「ラ・ベル・フェロニエール」(la Belle Ferronnière)、「イザベル・ステの肖像」 (Portrait d’Isabelle d’Este)、ダヴィンチがフランスへ来るときにロバの背中に積んで運んできたと云われる3点の絵画「聖アンナと聖母子」(Sainte Anne, la Vierge et l’Enfant)、「洗者聖ヨハネ」 (Saint Jean- Baptiste) そして「モナリザ」(la Joconde)ですが、「モナリザ」だけは色々な装置に保護されている為に、今回の特設会場には移されませんでした。この回顧展で最も話題になっていることはダヴィンチが残した沢山の手記がどれも意味の深い明解な文章であるのに、全て左右逆の鏡文字で記されているのは何故か、ということです。左利きであったから? 秘密の暗号の積もり? 考えを他人に盗まれることを警戒して? 同じ紙に描かれた馬や人体の解剖図、植物や機械、等のデッサンは左右正常か?それとも全てのデッサンが文章同様に逆に描かれているのか?、、、何故?、さすがに“天才レオナルド・ダヴィンチ”、謎があるから面白いとも云えるでしょう。

 

Musée du Louvreにて2020224日迄、火曜日を除く毎日09001730、水曜・金曜は2145迄、入場料17€、1225日、11日は休館, 館内の保健・衛生上並びに安全上の問題から入場制限を行っています。要予約 www.ticketlouvre.fr

 

*ツール・ド・フランス2020 ( LE TOUR DE FRANCE 2020 ) : 自転車のロードレースとして世界的に知られる“ツール・ド・フランス”の来年度の日程が発表になりました。それによりますと、来年はその第107回、627日にニースをスタート、719日にパリのシャンゼリゼ通りにゴールしますが、南仏からのスタートは7回目のことだそうです。毎回話題になる難関コースはアルプス、ピレネー両山脈に中央山塊を加えて5回の峠越えがあります。ニースから裏山を巡り、ナポレオン街道をアルプス方面に向かい、ルシヨン地方を羊皮のミヨー(Millau)、巡礼地ルルドの近くのポー(Pau)からピレネー山脈の峠越え、飛行機で飛んでイル・ド・レ(Ilr de Ré)、オレロン島(Ile d’Oléron)と初めての島巡り、ポワチエ(Poitiers)から中央山塊へ下りて、シャテル・ギュヨン(Châtel-Guyon)からピュイ・マリー(Puy Mary)を廻ってクレルモン・フェラン(Clermont-Ferrand) リヨン(Lyon)を抜け、再びアルプス山脈の険しい上り下り、それから鶏や鴨で知られるブール・アン・ブレス(Bourg-en-Bresse)等フランス東部を走り、飛行機でセーヌ川沿いのマント・ラ・ジョリー(Mantes-la-Jolie)、そして719日パリに向け最終コースを走る予定です。パリに入ってからはルーヴル宮、コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、凱旋門のコースを8周してゴールします。スタートからゴールまで全コースはテレビ中継があり、コース上の名所旧跡も映してくれますので、大いに楽しめます。毎年150名程の参加がありますが、今回は日本人のチームや選手の参加があるでしょうか、恒例の夏の催事として楽しみです。。

 

*「サ・エ・ラ」(« ça et là »)-―(1)ある日の新聞に「季節到来、しかしマロンは栗ではありません。有毒ですから要注意。」(La saison démarre. Mais attention à ne pas prendre les marrons pour des châtaignes.)と、マロニエの実の“マロン”と栗の“マロン”の見分け方が絵入りで書かれていました。葉、毬、色、形などの違い、マロンはマロニエの実で主には街にあって食べられない(non comestible)、栗も一般には“マロン”と云うが、森にあって食べられる(comestible)、、、、キノコについても同様、既に沢山の中毒者が出ているそうで、色、形、匂い、、、その特徴が説明されています。外国人(私もその一人ですが、、、)の急増、生活上の常識も異なり、知識も無いのが原因??しかし新聞やテレビでの警告は初めての様です。(2)医療通訳の依頼を受けて病院に駆けつけました。病院の入り口で“耳鼻咽喉科”(l’oto-rhino-laryngologie)(オトリノ・ラランゴロジィ)(略してオトリノ)は何処かを尋ねました。何度か“何?、えッ何?、、、”と訊かれ、こちらも“オトリノ”と繰り返しました。イラついたのでしょう“いったいどこが痛いのか?”と大きな声で云いますので“鼻”と云いましたら“突き当りの廊下を右に曲がって8番の受付”と教えてくれました。せっかく覚えた“耳鼻咽喉科”の単語でしたが、、、。

 

20191111 Armistice 日の出0752・日の入1715 天気:パリ朝夕4/日中9℃曇天、ニース11/16℃曇天、ストラスブール-1/7℃曇天  一年を演じきったとポプラの葉」(然)