フランス通信(178) 葉月               Paris, le 18/08/2020

*8月に ( AU MOIS D’ AOUT ) : 今夏はカニキュル(la canicule 酷暑)が無ければよいと願ってみても自然が相手、86日から12日迄、日中の気温が38℃から41℃という日が続いて、少々参りました。夜になっても28℃から30℃と暑さが残り、扇風機に頼りましたが、夕刻の「凪」の時間帯は風もピタッと止まってしまって苦しい思いでした。12日の夜半頃から13日の明け方でしたか、全く突然に轟音と共に強風、前にある2本のポプラが深くお辞儀をする様にしなって恐ろしい程、壁に掛かっている額は吹き飛ばされて落ち、紙が舞い、強い閃光と同時に雷鳴が轟き、よくもこんなに、と思う程の大雨、、、窓を閉めるにも一苦労、という大嵐に見舞われました。空の何処かに溜っていたもの全てが一度に、しかも滅茶苦茶に落ちてきた感じに、恐ろしさを超えて好奇心が働き、幸いに吹き込まれなかった北側の窓から、しばし見惚れて居りました。こうして迎えた13日は朝に寒さすら感じ、気温も日中24℃に下がり、涼しくなりましたが、急な気温の変化に身体から力が抜けた様な感じがしました。8月もまだまだこれから続きます。気温は多少高くても、空気が乾燥していて木陰の濃い、涼しい夏だとよいなと願っています。

*「ヴァン・ゴッホ最後の作品の謎が解ける」( Le secret de l’ultime tableau de Van Gogh enfin percé ) : 画家のヴァン・ゴッホが亡くなったのが1890729日のこと、今年で丁度130年になりますが、今年の729日の新聞に大変興味ある記事が掲載されました。それによりますと、ヴァン・ゴッホが死ぬその日に描いた最後の作品と思われる「木々の根」(Racines d’arbres)が何処を描いたのかが正式に確認されたのです。50x100㎝の大きな画は、一見何処にもあるありふれた景色で、最後に住んだオヴェール・シュル・オワーズ(Auvers-sur-Oise)には違いないが、近くの林か道端であろうということになっていました。ところが、今年のコロナ騒動で外出禁止令の機会に自宅で資料の整理をしていたゴッホのスペシャリストのヴァン・デル・ヴェ―ン氏が、偶々オヴェールに住む老婦人所有の1900年―1910年の古い絵葉書のコレクション

の中に、何処かで見た様な景色のものを見付けました。それは自転車の男が林の様な崖の様な道に佇んでいる写真で「ドービニイ通り」(Rue Daubigny)という題が付いていました。ヴァン・デル・ヴェ―ン氏はヴァン・ゴッホの作品に描かれた木々と根にそっくりではないか、と2日間に亘って拡大したコピーの木と根11本見比べました。130年も経った今、同じ木が未だ生え続けているだろうか、専門家にも問い合わせました。現在ヴァン・ゴッホ・インスティチュートを設立したラヴ―亭(Auberge Ravoux)の主人ジャンセン氏にも連絡、内緒のままにヴァン・ゴッホ最後の下宿部屋のあるラブ―亭から150m程のその場所へ行って見ましたら、何と殆どが当時のままに残っているではないですか、他の余計な根や草を取り除けば全くヴァン・ゴッホが描いた通りだったのです。そこでジャンセン氏は現場を保護し、いずれ一般の見学・鑑賞に供する為にも工事用の柵を巡らせました。オランダのヴァン・ゴッホ美術館館長、ヴァンゴッホの曾甥、ヴァン・デル・ヴェ―ン氏、ジャンセン氏などが集まって正式に確認、今後この場所をどの様にするのがベストかを各方面と検討中とのことです。下宿ラヴ―亭とゴッホの部屋、教会堂、麦畑、墓地、、、、これに「木々の根」が加えられ、ヴァン・ゴッホ終焉の地オヴェールの見学コースも更に豊かになり、大変に楽しみです。「木々の根」という1枚の画、何故ヴァン・ゴッホの最後の画と判断するかと云えば、ヴァン・ゴッホは自分の住まいの近くを描く習慣があり、その日の朝いつものようにモチーフ作りから始め、午後になって描き上げたことは、描かれた木々の根に当たる光から確認され、ラヴ―亭の自室に一旦戻り、絵を置いてから又出掛け、夕刻麦畑でピストル自殺を図り、未遂のまま自室に戻った事実から「最後の1枚」と判断されています。又、この画は未完成であり、制作途中で諦めた様子が伺え、テオに送った手紙の中に「木の根」について書かれた謎めいた文章があり、そうしたことからヴァン・ゴッホ最後の作品であり「絵画による遺書」(la lettre d’ adieu picturale)とも云われているそうです。

*「サ・エ・ラ」(続)“コロナウイールスの脅威” « La crise du Coronavirus COVID-19 » :

-マスク (le masque) : 1970年初頭のこと、当時東京からの飛行機はアンカレッジ経由の北極航路便で、パリには早朝の到着でした。丁度日本人団体客が増え出した頃で、到着便を担当しますと、特に冬期は寒く、防寒の意味からも日本人客は皆が白いマスクを掛けてゾロゾロ降りてくるものですから、一緒のフランス人職員が私に「ムッシュー・カン、あの人達は何だ、結核患者の団体か、、、?」等と小声で聞いてきたものです。ですから市内でマスクを掛けていますと、メトロの中で隣席の人が、いやそうな顔で席を立って離れて行ったりしたものです。それからの長い年月が経ち、今回のコロナ騒動では、当初一般にはマスクを掛ける必要なし、としていた政府が今では屋内だけでなく、場所によっては戸外でもマスクを義務付け、違反者には罰金135€を科す、とまでになりました。しかし、何かとお上に抵抗する市民は、マスク代が1週間で幾ら、1ヶ月で幾ら、、、低所得ではとてもマスクは買えない、と訴えました。確かに夏の暑さにマスクは暑く息苦しいもの、マスクさえ掛けていれば自分には感染しない、と信じている様子も見えますが、何回使ったのか薄汚れたものを平気で掛けている人、駅のホームだろうが歩道だろうがその辺にポイと捨てる人、、、マスクの義務化に反対する:反マスク・デモもあったとか、、、

野外大劇場:ナントの近くにあるこの劇場は、城郭と森を背景に、広々とした庭園に1万人を収容できる客席を設け、その土地の中世の歴史と様々な生活の様子を大スペクタクルで展開することで知られています。コロナ騒動で3ヶ月余りは止む無く閉鎖していたのですが、規制が緩和され、折から夏休みでもあり、予約が後を絶たず、コロナ・ウイルス感染拡大を防ぐ為に政府が決めた集会規模最高5000人の規制に対して、客席の真ん中に透明な塀を設け、片側に5000人、もう一方に5000人の予約を受付けました。しかし、真ん中を塀で仕切っても、客席以外の場所、劇場の出入り口、駐車場等では結局1万人の接触ですから、サッカーの試合だって観客無しで行われているのに、と世間の大きな批判を浴びました。

夏のヴァカンス(les vacances d ‘été) :コロナ騒動で各方面に損失が見られますが、夏休みを短縮して遅れを取り戻そうという考えも特に無く、人々は何時もの様にヴァカンスに出掛けています。各所の窓口も、職員が休暇に出ますから人手不足、特に職業安定所(Pôle emploi)の窓口には日に日に増える失業者の長蛇の列(les files d’ attente)が見られます。国が勧めるコロナ検査も同様、暑い中をお互い距離を置いて長時間待たねばならない様です。「コロナ、コロナもう沢山!」どうやらその辺が市民の正直な気持ちなのではないでしょうか、、、。

 

2020818Ste.Hélène 日の出0648・日の入2059パリ朝夕16℃・日中25℃曇天