フランス通信(170) 師走                Paris,le 15 Déc.2019

 

*年の暮れに ( A LA FIN D’ ANNEE )霧が出て、景色が白く霞んでいます。木々の葉がすっかり落ちて枝ばかり、杉などの針葉樹が目立ちます。限りなく落葉が積もり、箒で掃いても掃いても掃ききれなかったある日、掃除機の兄弟分のような機械を背負った“スフルール”がやってきて、落葉を吸い取るのかと思えば逆に吹き寄せ、大きなシートに纏めると、待ち受けたトラックがそれを運び去りました。こうしてすっかり落葉が無くなってみると、一寸淋しさを感じるのですから勝手です。街を歩いてみますと、クリスマスの飾りがキラキラと煌めいているのですが、125日から始まったゼネ・ストが続いて、賑わいが今一、客足が途絶えがちな気がします。

 

*ゼネ・スト ( LA GREVE GENERALE ) : 年金制度改革に反対して、125日に始まった全国的なデモやストライキは、SNCF(フランス国鉄)、RATP(パリ市交通公団)の労働組合を先頭に、運送会社、公共機関の市役所、警察、消防、病院、郵便局、電力会社、教育機関、航空管制官等も参加、各地で混乱状態が続き、道路という道路が渋滞しています。外出の際は十分な時間的余裕を持って行動し、周囲の状況に注意し、大きな混乱や衝突に遭遇した際には早急にその場を離れるなど、自身の安全対策に万全を期すように、との注意喚起書が在フランス日本国大使館から発信されています。“無期限スト”とありますが、一体何時迄続くのでしょうか、、、各地に設けられたクリスマス・マーケットにも人出が少なく、、、北風に一層の寒さを感じます。

 

*「トウルーズ・ロートレック」展 ( Expo. « TOULOUSE-LAUTREC » ) :1864年南仏アルビにある中世フランス王家の血筋を引く由緒ある貴族の家に生まれたロートレック、正式名はアンリ・マリ・レイモン・ド・トゥルーズ・ロートレック・モンファと云います。生来が虚弱体質で、子供の頃に左右の足を骨折しましたが全治せず、下半身がマヒしてしまいました。それは、両親もいとこ同士で、こうした家系にありがちな血族結婚が原因であろうと思われています。学問を諦めた彼はパリに出て絵画を学び、ゴッホやピサロ、ドガ、ゴーギャン達に出会い、モンマルトルに住んで享楽の世界にのめりこみ、フレンチ・カンカンで知られるミュージック・ホール“ムーラン・ルージュ”に出入りして、踊り子の動作、特に足の動きに魅かれ、踊り子や娼婦達をモデルに絵を描くだけでなく、サロンの装飾、ポスター、挿絵なども手掛け、踊り子でもスターであったジャンヌ・アヴリル(Jane Avril)、ラ・グーリュ(La Goulue)達と親交を結び、酒に溺れ、不摂生な生活を続けましたが、1901年まるで獣が巣に帰るかのようにマルカンの母親の元へ行き、同年9月に36才でこの世を去りました。死の1年前に描いたル・アーヴルのカフェで働く英国女性の肖像画は、それまで描いたものとは異なり、その表情も生き生きとしているのが目立ちます。1890年頃から死ぬ迄に約400点の絵画、30点余りのポスターを描いていますが、今回はその中から“フェルナンド・サーカスにて”(Au cirque Fernando(1888))、”化粧する女“ (Rousse(la toilette)(1889)),”ムーラン・ルージュのシャ・ユ・カオ“ (La clownesse Cha-U-Kao(1895)), ”医師タピエ・ド・セレイラン“(Le docteur Tapié de Céleyran(1894))等々200点を展示して回顧、創立130年を祝うムーラン・ルージュに合わせるかのようです。Grand Palais(Avenue du Gal.Eisenhower,Paris 8e メトロCh.Elysées Clémenceau)にて2020127日迄毎週火曜日と1225日を除く毎日10時―20時、入場料15€です。

 

*「心のレストラン」( LES RESTOS DU COEUR ) : 19866月に交通事故で突然逝ったコメディアンのコリューシュ(Coluche)が生前各方面に呼びかけて19859月に創設した貧しい人を対象とした給食事業は、彼亡き後をマダム・コリューシュが、そして今は息子さんが遺志を継いで運営にあたり、今日では73千人のボランティアの献身的な奉仕活動により昨年から今年にかけて13350万食が乳児3万人を含む90万人に提供されています。当初は寒さが厳しくなる11月から春を迎える迄のサービスでしたが、最近は全国に設けた2000箇所余りのセンターで、食事ばかりでなく、食料品、日用雑貨、衣類なども配布して、一年中活動を展開しています。中には自分が助けてもらったことがあるからとボランティアを申し出る人も見られるそうです。所得がいくら以下、住所の有無、といった煩い条件は一切無く、求める人には誰にでも笑顔でサービスする「心のレストラン」、学費と下宿代で精一杯の学生も食べるに困ってやってきます。しかし、求める人が増える一方では、食料銀行、スーパー等からの無料提供、奇特な個人からの善意の寄付、等々が減って、要求に追いつかない現状を広く訴えています。

 

*「サ・エ・ラ」( « ça et là ») : 地方で開かれている展示会に向けて日本から出張者が5名やってきました。日本の会社が気を効かせてホテルに私の分も入れてシングル又はツインのシングル・ユースで6部屋を予約してくれましたので、私は2日前になってホテルに直接連絡を入れて予約の再確認をして、ホテルからもOKをもらっていました。当日ホテルに着きましたらフロントの女性が、まず皆さんの旅券を、、、私は滞在許可証を出しましたが、旅券でないと駄目だと突っ張る様に云い、更に「このホテルは全室がツインで、1部屋にベッドが2つある。貴方達は全部で6人だから3部屋で十分、何故6部屋なのだ、、、、。」と妙なことを云うのです。いずれにせよこちらは6部屋分を払うのですし、色々と説明してもこの女性は突っ張るばかり、、、フロントには他のお客さんも増えてきて一緒に説明を試みてくれた人もいましたが、結局はらちがあかず、これ以上は問答無用と思い、出された3個の部屋の鍵をもらって2人づつ部屋に入りました。掃除の人にそれとなく聞いてみましたが、ホテルは決して満室ではありませんでした。私は眠りに遅れてしまい、同室になった人を起こさない様に気を使い、明け方まで何回か近くを散歩しました。

 

*ご挨拶 ( Avec mes remerciements ) : 毎月1度皆様にお届けしている小信「フランス通信」は、お陰様で170号を発信するに至りました。“普段のご無沙汰つなぎに時候の挨拶を兼ね”等と勝手な都合で2002年の春に始めてより「KANEWS」など23度名称を変えましたが、今号を以って265号を数えます。フランスに住んで今年で50年、何と半世紀を過ごしたことになりますが、多少のニュース性を持たせて、フランスでの日々の生活の起伏と、その体温をお伝え出来ればと思い、時にはアパートの窓から見渡す、或いは電車やバスの車窓から見る四季折々の景色を自分で撮った写真を添付してお見せしたりしています。しかし政治、金融、宗教関連については知識が浅いこともあって記述することはまずありません。ある企業では社内報に、ある事務所はブログに、ある学校はフランス語の授業に使って下さり、嬉しく思います。送信先は現在約550の宛先にEメールでお送りしていますが、毎号の返信の様にして一言の便りや感想、各地の様子などが送られてくるのが嬉しく、楽しみです。昨年には友人の尽力で小信の2013年から2017年迄5年間のものをそのまま纏め「パリの春」「パリの夏」「パリの秋」「パリの冬」と題して4冊が日本のアマゾンから発売されました。

 

間も無く今年も暮れ往きます。皆様どうぞ健康で平穏無事な新年をお迎え下さるよう心より祈り上げます。

 

「もう師走?毎年云っている様な」(ひう)・「元気です、それだけ書こう年賀状」(モブ)

 

20191215Sainte Ninon 日の出0836・日の入1654 天気:パリ朝夕8/日中10℃曇天、

 

ニース8/17℃晴天、ストラスブール7/13℃雨天、(ストが明けないと餅が買えません。弱ったな)菅