★在仏会員からのフランス通信★

                      

理香のパリからBonjour

2024スペシャル

鈴木理香さん(フランス在住、作曲家)の元を訪れた妹の鈴木理絵さん(当会理事)からクリスマスや新年のエピファニーの様子の写真を投稿いただきました。会員の皆さまにお送りいたしました湘南日仏協会会報 Le Courrier de Shonan Vol.10でお伝えしきれなかった素敵な風景の数々をお届けします!

Paris à la fin de l’année

年末のパリ

Avenue Montaigne

Après avoir regardé la pièce de Molière << Le malade imaginaire>>

au Théâtre des Champs-Elysées, on s’est baladé avenue Montaigne.

 

シャンゼリゼ劇場で、モリエールの「病は気から」を観劇した後、モンテーニュ通りをブラブラ歩く

Opéra de Paris

Le Palais Garnier (L’opéra de Paris) est actuellement en restauration.

 

Il est couvert par de grandes bâches où sont imprimées différentes images qui changent avec la saison. Ici, on voit une publicité de Ralph Lauren.

 

パリ・オペラ座(ガルニエ宮)は、現在改修工事中。季節ごとに色々なイメージがプリントされた巨大なビニールシートで覆われています。今はラルフ・ローレンのポスターのようですね

Avenue Montaigne vidéo

モンテーニュ通りの様子(ショート動画)

Noël à Paris

パリのクリスマス

Sapin de Noël

 

En sortant d’une fête chez des amis, on reste fasciné par les beaux sapins de la rue et par celui d’une vitrine de magasin. 

友人宅でのフェットからの帰り、道端でステキなクリスマス・ツリーに出会いしばし見とれました

 

 

Au café, la tendance actuelle

最近話題のスポットにて

Est-ce un salon de thé classique ?

クラシックなサロン・ド・テでしょうか?

Ah non ! C’est « Starbucks » à côté de l’Opéra Garnier ! L’ambiance est très rococo, mais le menu est tout simplement celui de« Starbucks ». Un peu déçu ?

いえいえ!ここはオペラ・ガルニエの近くのスターバックスなのです。雰囲気はとってもロココ。でもナカミは完全に普通のスタバでした。ちょっと残念?

iNcontournable par temps froid

寒い日には、こんな便利なアイテムも!

Une des marques de fromage « MONT D’OR » livre ses produits avec un supplément.

On peut mettre le fromage directement dans ce récipient sans couvercle, puis au four bien chaud … 

Que c’est pratique et que c’est délicieux !

モンドールを購入するともれなくこの器が付いてくるメーカーがあります。

蓋を開けたモンドールが、器の中にそっくり入ります。そのままオーブンへどうぞ、という趣向。とても便利で、しかもなんておいしいこと!

Epiphanie 2024

今年のエピファニーは1月7日でした

Cette année, l’épiphanie tombait le 7 janvier. C’était juste avant la rentrée de l’école et du travail, toute la famille était très occupée, mais on n’a pas oublié la galette des rois.

2024年のエピファニー(公現祭)は1月7日。

家族全員それぞれに大忙しでしたが、ガレット・デ・ロワは外さず買ってきましたよ

 

※Le Courrier de Shonan Vol.10 P7には今年のエピファニーは1月6日と記載されています。通年は1月6日なのだそうですが、2024年1月6日は土曜日だったため、フランスを始め多くの国では翌日7日の日曜日に移動されたとのこと。大変失礼いたしました。

Edition spéciale - Le voyage à Barcelone – ville enchantée

番外編 ー 魅惑のバルセロナ紀行

« La Sagrada familia » est une basilique de Barcelone conçue par l’architecte Gaudi dont la construction a commencé en 1882, et qui n’est pas encore finie ! 

Mais la fin du projet approche. Elle était prévue pour 2026, mais elle a été repoussée récemment jusqu’en 2030. On aimerait bien y retourner encore !

1882年に巨匠アントニオ・ガウディ設計、そして140年に渡り建設が続いている「サグラダ・ファミリア」もいよいよ完成に近づいてきました。ただ、2026年に完成のはずが最近の情報によれば2030年に延期されたとか。また行きたいな!

鈴木理香さん・理絵さん、素敵なフォトエッセイをありがとうございました!


                

                真理とアレクサンドルのパリ便り                     


昨年の9月にストラスブール音大を定年退職した私は、ストラスブールのアパートを始末してパリのみの生活を送っている。
パリの5区のコンセルバトワールで少し教えているため、週一回は7番線のメトロPont Marieで降りて、Pont Marieを渡りサンルイ島を抜けてQuai Tournelle を右に曲がりrue Pontoise にある5区のコンセルバトワールに赴くのが習慣になっている。サンルイ島をすぎたあたり右を見ると、ノートルダム寺院の工事を見ることができて夕方になると明かりを灯して工事が続いている。Quai Tournelle にはたくさんのbouquinistes がいてこの間足を止めて、三島由紀夫の本3冊フランス語訳のものを1冊3ユーロで、主人アレクサンデルのために買った。売っていたおじさんは三島由紀夫をよく読んでいて僕は「豊饒の海」4巻が一番好きだと言っていて、彼の学識の高さにびっくりした。私が、「オリンピックのためにあなた方bouquinistesは追いやられると聞いたけど、酷い話よね」と言うと、今反対運動真っ最中でうまくいかなきゃ三島由紀夫と同じ切腹だなんて冗談を言っていた。運良く彼らは勝利を得てオリンピックでも動かなくて良いと、マクロンが先週お達しで、私は大変喜んでいる。このbouquiniste 歴史的に15世紀から存在していたようで、17世紀にはアカデミーフランセーズにこの単語が載っている。そう簡単に誰でもこの職業はできなくて農家出身の人が多いようである。確かに冬の寒い日も外でじーっとお客が来るのを待つ仕事は外で働くことに慣れてないとできないと思う。ともあれ私は三島由紀夫も読んでるような彼ら、パリのシンボルでもあるbouquiniste が存続してほしいと思っている。

昨日の日曜日久しぶりの青空の広がったパリ リュクサンブール公園の人出の写真を同封して、今日のパリ便りを終える。

 

小林真理 2024年2月18日


今日は3月17日 日本は桜が咲き始めマスクも個人の判断に任されて、美しい女性のお顔が見られるようになった今日このごろでしょうか。 

我々はNHKワールドでお相撲を楽しんでいますが、綺麗な女性やみなさんの笑顔が見えて嬉しいと話しています。

さてパリも春らしくなってきたものの皆様もお聞きの定年退職の年代に対するストライキが続いています。TGVやメトロは勿論、以下の私が今朝撮りました (写真1・2) のように、ゴミを集める人のストライキでパリの街はゴミ箱になっております。64歳にリタイヤーという政府のお達しに反抗しているわけです。

「64歳なんてまだ若い まだまだ働いた方が良いですよ ボケないですよ」なんて思うのはアジア系の人のみ。 

やはり私はフランス生活40年とは言え、フランス人にはなりきれません。

次回はもっと美しい写真を送りますね。 

 

小林真理 2023年3月18日

 


年末のスペクタークル

 

暖冬で雨や曇りの日が多いパリ、電気代 ガソリン代の値上げまたいつものお得意のストライキ続きのパリで、私は昨日シャトレ座で全て嫌なことが吹っ飛んで気分爽快になる演目、ミュージカル「 42nd street  」を見てきました。このミュージカルは1933年の大恐慌の暗いニューヨークが舞台で、Pretty Lady を上演するにあたり 怪我をしてしまったスターの代役に若い女優を起用して出演者全員の熱意とプロ意識によって素晴らしい舞台をブロードウェイで成し遂げる話です。フランス語ではclaquettes つまりタップダンスが最初から最後までこの作品を占めていて、イギリス人 アメリカ人中心の素晴らしい役者達のタップダンスぶりにお客様は圧倒されてました。幕が最初ちょっとだけ上がりタップダンスの足踏みだけ見えるようになってるなんとも憎いほど洒落た演出、1980年にGrower Championの振り付けにより初演されたこのミュージカル 今回はStephen Mear が受け継いでいました。Gareth Valentine の指揮で前奏曲が始まった途端 スイング!隣のおばさまは座っていながら体を揺らすのでシャトレ座の古い椅子はギコギコ揺れだしました。最後は観客全員ほとんど総立ちでほとんど踊り出しそう、かなりお年を召したお客様も多く ああこの時代,この音楽へのノスタルジーでいっぱいなのだと劇場内が興奮状態でした!

ああ私もコロナでお休みしていたタップダンスの授業をまた始めたいです!

 

少し時はさかのぼりクリスマスの頃 私とアレクサンデルはワルシャワで1週間過ごしました。イルミネーションの美しさにもびっくりでしたが(写真参照)、国立オペラ座で見たバレエ 「 ドン・キホーテ 」のことも少し話させてください。私は初めてこのバレエを見てセルバンテスの小説が基礎になってるものの ミュージカルや演劇のようにドン・キホーテが主役というよりも 若いカップルが中心になっておりちょっと意外でした。1869年にボリショイ劇場で Léon Minkusの音楽、Marius Petipa の振り付けで初演されています。Marius Petipa はマルセイユ出身のフランス人でミンクスとは30以上の作品で一緒に仕事をしているようです。この主役の若い男性を踊ったのが、北井亮太さん、素晴らしかったです。プログラムを見たら他にも日本人のソリストがこのワルシャワ国立オペラで活躍していて 誇らしいことです。

ああ 「 ショウーほど素敵な商売はない 」 その通りです。皆様良いお年をお迎えください。

 

小林真理 2022年12月30日

 


新緑の美しい5月 日本もフランスもマロニエ、藤、アカシア、薔薇の美しい季節です。

 

  今日は516日、今日よりメトロやTGV 飛行機など乗り物全ての中でのマスクはしなくて良くなりました。ワクチンパスで苦労していた3月はついこの間なのにこの変わりようは嘘のようです。ご心配をかけたアレクサンデルも今はとっても
元気ですのでご安心のほどを。

 

 今TGVに乗ってストラスブールに向かっています。窓からは緑がいっぱい飛び込んで来ます。マスクをしている人、していない人半々です。自分の判断で、感染が心配だったり風邪気味だったらする、私のような汗かきはマスク無しと自分で決めればよいと思います。

 

一昨日パリのオペラ座ガルニエで、György Kurtág (ジョルジュクルターグ)の2018年に書かれたオペラ「Fin de Partie」を観てきました。これは旧ハンガリー人のクルターグがパリに留学していた時にサミュエルベケットから演劇の影響を
受け、後に92歳で初めて書いたオペラなのです。ベケットのこの戯曲は何とフランス語で書かれたものでした。
アイルランドで生まれたベケットもパリに若い時来てその後1937年から没した1989年までパリに住んでいたの
です。有名な「ゴドーを待ちながら」もフランスで書かれフランスで初演されています。

クルターグのオペラはサンバルン(ツインバロム*)やハープなどの繊細な音の楽器を使って書かれており決して音が多くなく、うるさくなくそれでいて死を間近にしてる老人の何とも救いようのない悲劇的な人間性をよく表現していました。

外国人のベケット、クルターグ、ジョイスら多くの優れた芸術家を魅了して、素晴らしい文化が栄えたパリは残念ながら
遠い彼方です。私やアレクサンデルが初めて知った1980年代の良きパリだって今の若者は知らないのです。誇り高い
フランスを取り戻したいとちょっとでも言えば極右翼と叩かれるフランス。 変わらないのは5月の新緑ぐらいですね。

                                   小林真理 2022516

 

* ハンガリーなど中欧や東欧の地域で見られる大型の打弦楽器

                                    


パリに戻って

 

皆様とかなりご無沙汰しました。私は23日より23日まで主に鎌倉、日本に行きました。今日は主人の緊急入院の様子を踏まえてパリの病院、そして交通手段等に関するお話をします。

主人アレクサンドルは1月中旬に他の事で病院に行った時、今は誰でもするPCR検査で陽性が出ました。初めの頃は熱も
なく咳も大した事なく軽い症状なんて言っていましたら、段々食欲がなくなり食べられなくなってしまったのです。体重も
減り元気がなくなり、私は22日の日本行きが迫り心配で21日にSAMU (
 日本で言う救急車, service daide médicale urgente )を呼びました。1時間近く待つもののフランスにしては割とすんなり来てくれました。体格の良い黒人のお兄さんが2人でやってきてすぐに出発、本人の希望通りアレクサンドルがいつも行っているおなじみの軍隊病院 Hôpital Bégin
向かいました。初めてパリで( かなり前グルノーブルに行った時、ガソリンスタンドでアレクサンドルが古いホースが
すっ飛びガソリンをかぶってSAMUを呼びましたが)乗りましたが まあ怖い怖い!赤信号は全く無視 時々対向車線に
突っ込むはすごいスピードで、シートベルトはアレクサンドルしかなく私は周りの車内の壁に必死に掴まっていました。
到着して思わず私もアレクサンドルもお兄さんに運転ブラボーを言いました。彼はその日は病院に泊まりましたが、翌日
私が夜日本
出発の直前に車で家に連れて帰りました

安心して日本に向けてパリを出発したものの、最初は順調に回復していたアレクサンドルがまた調子が悪くなりました。ちょっと歩くと息がハーハーで歩けないと言う
状態で近所の方やお弟子さんが心配して、再び私がパリに到着した223日にSAMUでお弟子さんがBéginへ向かいましたが、同病院が水道の故障で閉まっていて、代わりにHôpital Tenonに連れて行ってくださいました。
 

私は飛行場から家に帰りトランクを置いてすぐに病院に駆けつけてお弟子さんと
バトンタッチ。Urgenceはたくさんの人 (わめいている人、嘔吐してしまう人等              
Hôpital Tenon 中庭のシャペル
凄まじいのです)がいてかなり待たされ、入院が決まり家に私が向かったのは飛行機が着いてから6時間後の真夜中でした。
私は19区の自分のアパートまで直通の
バス60番に乗り帰宅しましたが、ガタガタのおんぼろバスにびっくりしました。
この
Hôpital Tenonですが、ほとんどのフランスの病院が国立か公立病院でBéginと同じに19世紀に造られた素晴らしい建物
です。エディット・ピアフも入っていたそうです。でも廊下などかなり古くあんまり手入れはされてません。他の病院にもよくみられますが素晴らしいシャペルが中庭(写真右上)にあります。

ここまで書いて皆さんが心配されるといけませんが、アレクサンドルは
入院して落ち着いておりますのでご安心のほどを。私は今ストラスブール行きの5時間の鈍行TERに乗って書いています。ワクチンパスのない私はTGVに乗れないので唯一のこの方法、TER5時間かけてストラスブールに通ってます。私のアイフォン13のカメラのテクノロジーで写真では綺麗ですが実際車体の外(写真左)は汚いですが、この1等車のソファ(写真右)の座りごごちは中々良いです。長閑な田園風景を見ながらゆっくり
汽車の旅も(今シャンパーニュ地方ワイン畑が見えてます)悪くないです。でもこのワクチンパスも3月中旬か4月には終わるでしょう。
マクロンさんは十分に我々をon vous emmerde
しましたからね。

                    小林真理 2022225 



10月に入りパリは寒くなり9月のインディアンサマーは残念ながらもうおしまいです。
今日は自分の話で恐縮ですが、久しぶりのパリでのコンサートでしたので書かせて
ください。
10
1日パリのBir Hakeimにある日本文化会館で 阿部加奈子さんの世界初演 Regard Croisés を三味線と尺八とで歌いました。この作品は 遠藤周作の沈黙の影響を受けていて阿部さんが作曲中のオペラ「 Padre 」の抜粋です。私が歌った部分は弾圧を受けている
宣教師フェレイラを慕っているイヅツの歌う俳句のフランス語訳の部分でした。三味線は
澤田春吟という名取を持つフランス人 尺八はクレアシオン桂という日本人 お2人とも
素晴らしい演奏家でした。
澤田さん 本名Sylvain Dionyさんは勿論日本が大好きなフランス人です。2011年福島の
津波があった時真っ先に飛んでいってチャリテイコンサートをしたのに、今はコロナで全く日本に行けなくなってしまった、三味線も修理したいし日本に早く行ける日を待ってると言っておられました。
そうです、日本も外国から来る人をバイ菌扱いしないで早く鎖国を解いてもらいたいものです。

                 右側の写真で向かって左が、阿部加奈子さんです。

パリ便りとして前後しますが、96日にJean-Paul Belmondo が静かにこの世を去り
ました。彼はパリ国立高等演劇学院できちんとした基礎を学んだためどんな映画でも
彼のdiction(発音)は素晴らしくクリアーで私は好きです。そして何よりスポーツ選手で 代役なしでアクロバットのようなこともやり遂げています。また1人素晴らしい俳優が
いなくなりました。

では今回はこの辺で。31日に鎌倉のベルエポックのコンサートで皆さまとお会い
しましょう。

あっ 最後に一言、フランスは外ではもうマスクなしです。
                      小林真理 108


8月も終わりが近づきヴァカンスに行っていたフランス人もそろそろパリに戻ってくる頃でしょう。でも今年の8月は
いつもとちょっと違う8月でした。ご存知の通りマクロン大統領は721日よりよりフランス中にワクチンパス 
( pass sanitaire )を持っていない人は大きなスーパー、デパート、映画館、コンサート、レストラン、TGVなどが利用
できないという命令を下しました。晴天の霹靂とも言えるこの決断は私と主人のアレクサンドルを始め、ワクチンを
打っていない人にはとても不便な事となりました。そのためヴァカンス中とも言えるフランスでは毎土曜日ワクチンパス
反対デモが行われています。このデモは黄色いチョッキ運動とはちょっと違い生まれて初めてデモに参加したという
フランス人や家族づれも多く 自由を求めての暴力などのない穏やかな市民のデモです。ワクチンを反対するのではなく、打ちたい人や必要な人は打てば良い、ただ強制されるのはごめんだという 自分の体のことは自分で決めたいという
意見の人の声です。私も主人もデモには参加していませんが、同感です。今のところ9月からストラスブール音大で仕事をするに際して、私はパリのアパートの隣にある薬屋さんで抗原検査をただでしてもらいこの証明書は3日間だけワクチン
パスと同じ役目をするので、週一回やって3日間ストラスブールで教えてTGVで往復する予定です。1115日までのこの
規則、なんとか我々市民の声を聞いて少しでも早く取りやめになってほしいものです。最後に826日のシャンパーニュ
で有名な都市ランスでのレストランに行かれないなら道端でピクニックしましょうという粋でどんな時にもへこたれない ユーモアのあるフランス人の写真(⇒コチラ)を載せて真理のパリだよりを終えます。     
829日 小林真理


皆さま フランスが5月19日よりテラスのカフェやオペラ 映画館 文化施設が開いたことはご存知と思いますが、今日はその後のご報告です。
私は早速21日に パリオペラ座で現代オペラ Marc-André Dalbavie  作曲
Le soulier de satin 、ポールクローデル原作 繻子の靴 を見てきました。
原作のお芝居も大変長いものでそれを休憩2回で6時間にまとめていました。
フランス語が喋りから歌に入るような作曲の仕方で言葉はよく分かり スペインの16世紀をよく表現している美しい衣装 曲はものすごく感激とまでは行き
ませんでしたが、歌い手たちの声が素晴らしく6時間久々のオペラが嬉しくて
座っていました。7ヶ月本番のなかった歌い手たち この日のために練習だけは重ねてきて仕事がなかったため声のコンデイションも最高でした。そして25日にはストラスブールのオペラ座でヘンデルのオペラAlcina を見てきました。こちらは演奏会形式に近く、バロック特有の声を転がすテクニックなどに 私を含め
特に年配のオペラに飢えていたお客様が多かったので、2時間近く休憩なしで
舞台に皆さん釘付けになって楽しんでおられました。
やっぱりこうしてオペラに行けて実際に音楽を聴くことは本当に素敵です。

さて外に出ると この写真( これは我が家の近所ウルク運河の辺り18時の様子)のようにみんなちょっとまだ寒いテラスに座って 飲んで食べてお喋りして楽しんでます。なんだかやっと自由が戻ってきたようで私は思いっきり深呼吸して(勿論マスク取って) 歩いています。
皆さまもお元気で。
真理

パリの近況を書いたばかりですが、今日は前から書きたかった映画の話をさせてください。

19日から映画館も開いて今のところ昨年秋から溜まっていた映画が上演されていますがだんだんに新作も登場すると思います。

私は実は映画が大好きなのです。これはおそらく映画好きだった両親に小さい頃から連れて行ってもらったからだと思い
ます。鎌倉の方はご存知の通り 昔は鎌倉に3つ映画館がありました。一つは東宝の日本映画専門の映画館が鎌倉駅西口
出たところ 洋画をたくさんやっていた今の島森書店の近くに一つ そして小町通りのちょっと裏に古い映画館 ここは
トイレの匂いがしていて我々は 臭い映画館と呼んでいましたので本当の名前は全く記憶ありません。私はここで見た映画「エデンの東」 「ロシュフォールの恋人たち」など感激した事よーく覚えています。ロシュフォールはフランスに行った1982年直ぐに訪ねましたが、歩いても歩いても全く映画とは違った場所でがっかりしたものです。映画のロケのために
ロッシュフォールの街は使っても色々装置を足していたのですね。

日本映画はなんだか両親が子供にはあんまり見せられないと( ちょっと暗い雰囲気の濡れ場?)見せてもらえず、見たくて見たくて大人になってからそしてパリに来てから見まくってます。何だか外国人のベッドシーンなら大丈夫というのも変な話ですが。。。

今はこの3つの映画館なくなってしまい寂しい限りです。幸運にも川喜田記念映画館があるのは唯一の救いです。ここに
私の夫のアレクサ
ンドルは自分のコレクションのポーランドのポスター80枚寄付して我々はその後ノーパスで入れます。
彼も映画が好きで、ポーランドのポスターは芸術的作品として有名で昔から集めていたのです。コロナで外にあんまり出られない最近も我々は夜は映画の時間で楽しんでました。ドイツとの共同フランスのテレビArte ではよく良い映画をやっていて遅い時間のは録画しておいて後で見ます。最近は ヴィスコンテイの「山猫」何度も見ていますが毎回感激、バート
ランカスター主演でフランスの絵画を守る話 「大列車作戦」、昨日はアンジェイワイダの「地下水道」を見ました。

そうそうArteで一昨日は是枝監督の 「万引き家族」もやってました。映画の話は尽きませんが今日はこの辺で。

 真理

 


                                                                          ――Nouvelle de Paris d‘ Alexandre――

 

  J’ai impression que le méchant et mortel coronavirus fait ses valises et pense laisser tranquilles les gens martyrisés du monde entier. Il semble que tout cela est arrivé grâce aux vaccins. Mais il y a six sortes de vaccins et plein de variants du virus donc on
ne sait pas lequel choisir. En plus il n’y a aucune garantie sur efficacité pour la guérison et il existe toujours des possibilités de contamination. Pour le moment il faut être vacciné deux fois mais certains hommes de science parlent de la nécessité d’être vacciné une troisième fois. Actuellement la France a vacciné un cinquième de sa population mais la magie du vaccin opère car
les gens qui ont été vaccinés récupèrent leur bonne humeur et ont envie de reprendre la vie normale. Donc ce qui arrivera,
le temps va nous montrer. Il y a aussi l’espoir qui concerne la réouverture de restaurants, de cinémas et de tout ce qui était fermé depuis l’apparition du virus. Tout cela nous console énormément. Quant à moi j’attends tranquillement sans me faire vacciner et sans utiliser des masques...... Je me rappelle une jolie histoire; le grand poète russe Alexandre Pouchkine avait une très belle femme qui s’appelait Natalia Gontcharova. Le tsar Nikolai voulait la séduire....Il a donné l’ordre à Pouchkine d’aller dans le Caucase et écrire un rapport détaillé concernant d’immenses dégâts causés par des locustes sur les champs agriculteurs. Pouchkine est parti et il a tout de suite envoyé son rapport au tsar “ Les locustes volaient, volaient. Atterrissaient. Elles ont tout mangé et se sont envolées.”

  En vous racontant cette petite histoire quasi poétique, j’aimerais bien vous assurer que la même fin arrivera au coronavirus et
la peur humaine va disparaître.

 

P.-S.  Malgré les décisions du gouvernement qui sont souvent incompréhensibles et chaotiques j’ai enfin une bonne nouvelle:
La Cathédrale Notre Dame de Paris, après un terrible incendie, sera bientôt réparée et deviendra aussi belle qu’avant. Je me permets d’envoyer mes salutations à tous les membres de Shonan Nichifutsu Kyokai et son Président Monsieur Ejiri.

 

 

                               Paris , le 11 mai 2021            Crastkiewicz Alexandre  

 

アレクサンドル(Crastkiewicz Alexandre)氏のプロフィール:                      

 

194110月17日、ドイツ占領下、フランスのロット県のアルヴニヤックに生まれる。ポーランドに戻った両親と3歳よりポーランドで生活する。ヴロツワフ大学で法学を学び会社の顧問弁護士として仕事を続ける。ワレサ氏が創設した、独立自主管理労働組合のメンバーとして、フランスにおいて「連帯」の紹介を30回行い、1981年よりパリに在住。その後フランスにおいては、印刷会社を
友人と創設し多くの建築家や作曲家(牧野縝=まきのさおり氏もその一人)と仕事をする。趣味はジャズクラシック音楽ですが、特に奥様であるメゾソプラノ歌手小林真理の大ファンでもある。 

ジャン・ロッシュフォール主演フランス映画 「パリ空港の人々」1993年に自分で作詞をし歌って
 日曜のパリ市内テユイルリー公園にて  以来、作詞家作曲家楽譜出版協会のメンバーでもある。


                      

                     理香のパリからBonjour

鈴木理香さん(フランス在、作曲家)から、クリスマスのパリの様子の写真をお寄せいただきました。

くるみ割り人形モチーフが大流行だそうです。


ワクチンにまつわる話―その2   

                

「2回目は結構クルらしいわよ!」と、勤め先の同僚に話しかけられた。

2度目のワクチン接種後の副反応の話である。

「理香さん、もうすぐなんでしょう?気を付けてね。私の夫はワクチンの後3~4日熱が出て寝込んでました。」

また、別の方は接種後具合が悪くなり立てなくなった、とか、ここのところその他色々とネガティヴなハナシばかり聞いてしまった。1度目には大したことなかったのが___というのが枕詞である。

ただ一人、「何もなく無事に過ごしている」という方に話を伺うと、ワクチン接種前、3日間ひどい頭痛の為ドリプラン(痛み止め&頭痛薬)を飲み続けていたという。そのお蔭かどうかはわからないが、副反応は全くなかったということだった。なるほど、接種後、ではなく前に薬を飲む、というのは目から鱗、コロンブスの卵であった。

私もその方法を真似ることにした。ただ、頭痛もないのにドリプランを3日間飲み続けるというのも身体に悪い気もして飲むのは1日分+α と決めた。接種は火曜日だったので、日曜日の夜一錠、月曜朝・昼・晩と計3錠ドリプランを服用して、ワクチン接種に備えた。(ただ一言
お断わりしておくと、これは、私のごく個人的な経験であり、科学的な裏付けはございません。)

そして、火曜日の朝が来た。 

場所は1回目の時と同じセンターである、はずだった。私は直前に他の用事があり、時間ギリギリにやっとの思いで指定されたアドレスの入り口に辿り着くと、「ワクチン、場所変わりました。○○番地、XX通り」という手書きのメッセージの張り紙がしてあった。軽い怒りを覚えながらも、せっかく飲んだドリプランも吹き飛びそうな勢いで、再びひたすら走った。こういうところはさすがフランスだ。日本なら必ず、事前に変更案内が来るだろう。

ようやく変更された場所に到着した頃、私より前の時間に予約していた夫から「場所変わったよ」とタイミングのズレたSMSが届く。順番を待っていたら、先に接種を終えた夫が受け付けで「ヴァカンスで他国に行くので、証明書をお願いしますね」と念を押していた。そうそう、ヨーロッパ国内の移動であっても、ワクチン接種の証明書が必要だ。ついでに言うなら「陰性証明書」も欠かせない。その為のPCR検査は、今(6/29)の
うちならどこの
ラボでもタダで受けられる。

 今回注射をしてくれたのは、ドクターかナースかわからないが、うちの息子とあまり変わらぬくらい若い男性で、ものすごく腕がよかった。 彼は
「副反応は、僕自身は全く無かった。ある人はあるし、無い人は無い。人によります」という明快な、しかしあまり役にも立ちそうにない説明をしてくれながら、
まるで蚊にでも刺されたくらい、ほとんど何の痛みも感じさせないうちにスッと終えたのだった。
私も受付で証明書を貰い、15分休んで
から、夫と外に出た。

「お腹すいたね、お昼何か食べようか」ということになり、ポツポツとテラス席のみ開き始めたパリのカフェ・レストランを物色する。2か月半前の1回目の頃には、サンドイッチ屋さんでテイクアウトがやっとだったことを思うと、なんという喜びだろう!まだ少人数のグループで食事をしている感じだが、客も久しぶりのテーブルを囲んでワインを前に顔がほころんでいる。店の人達もなんだか張り切っている!

白い幌に木々の影が映るビストロで、アヒル料理に舌鼓を打ちデザートを平らげた頃には、ワクチンのことなど遠い昔の出来事のようで、自分がなんでここに居るのかも忘れそうだ。今のところは副反応も無い。本当に、ドリプランのお蔭かもしれない。

 

                                                           *****

本日7月13日火曜日、あれからきっかり2週間経過。時効成立。何の副反応も無し、よって、多分安心してよいのだろう。そうそう、これで
ワクチンの効果があれば言うことは無い______なんといってもそれが目的なのだ。そして折しも、昨晩マクロン大統領の
TV 演説があり、
コロナウィルス感染症拡大防止の為の新たな措置等が発表された。
一部の業種に対するワクチン接種の義務化、衛生パスポートの提示についてや、
PCR検査の有料化等々であるが、書き出すとまた長くなる
ので今回はこの辺で失礼いたします。

皆様の御健康を願いながら。

 

鈴木理香(フランス在、作曲家)

 

ワクチンにまつわる話 その1 

                     

 4月のある日とうとう対Covid 19のワクチンを接種した。

というのは、そのほんの数日前TVNewsを観ていた夫が「フランス国内で55歳
以上の人間は皆ワクチンが打てることになったよ。」と言うのである。初めは高齢者施設の方々、及び高齢者、疾患のある方、医療従事者という枠だったのが突然55歳に下がった。これなら夫も私も楽にクリアである。二人ともパリとその周辺の
音楽院で教えているのだが、ここのところかなりの速さで生徒たちが感染者、或は濃厚接触者になり次々と授業に欠席者が増えて、じわじわと周りを包囲されつつあり、これは私たちもなんとかしなければ…と思い始めていた矢先のことである。

ただ、主に提案されているのは今色々と副反応が取り沙汰されているA社で
ある。お蔭でどうやら大量に余っているらしく、大判振る舞いというわけだ。自然、希望者が殺到するわけでもなく、予約が取りやすいのは助かる。うーん、
A社か…私もなんとなく不安でないこともなく、何気なく、友人達に話してみる。

「あー、私はもう少し待ってみるわ」という答え。                  ワクチン接種所の入り口に貼られていた紙のイラスト(筆者書)「僕はB社で打つことにしたよ」

「もうちょっと様子を見てからでもいいのじゃない?」

逆に「Rikaは学生と多く接するから、早めにやっておくのに賛成!」

「やるべき!私も行こうと思う」

また日本在の友人は「日本も早く始まって欲しい!いいね!」

アンケートで自分の運命を決めるのもどうかとは思うが、まあ、接種することにした。

ただ一人鎌倉の妹だけは

「いやーん、大丈夫なの?心して受けに行ってね!」と泣きそうなLineが。やはり身内の反応か。

「え?心してったって、私にはどうすることもできないのよ。心してもしなくても結果は同じ」

「…意味わからないの?お気楽にほいほい受けに行かないで、きちんと心してっていうことよ!」

「遺書でも書いてから行けっていうこと?」

「違う!そんなことじゃないわ!」

姉妹間で感覚のズレが生じたが、とにかく心して行くことを約束させられる。

そして当日。

パリのNation駅からそう遠くない所に、件の接種センターはあった。パリ市内でも26箇所くらいあるリストの中から、自分の都合のよい場所を選んで時間予約をするシステムだ。

ワクチン接種所の入り口にはCovid19ワクチンと書いた紙がセロテープで止められていて、小さな事務所の中に入ると私の前にたった一人
だけ受付で手続きをしている人がいた。看護師さんが2人くらい暇そうに雑談している。こんなに、
A社、人気無いの?と、ふとまた不安になるが、ここまで来て帰るわけにもいくまい。

私も保険証を出したりと手続きを終え個室に入ると、女性の看護師さんが質問しながら私の書類を作成。「基礎疾患は?」「アレルギーは?」等々に答え、「何かご質問がありますか?」と聞かれたのでつい「A社のワクチンの副反応について、色々聞きますが、イギリスの症例では、血栓ができることもある、とか、女性に多く、それで亡くなった方もいらっしゃった、などの記事を読みましたが…」と、この期に及んで往生際の悪い私に、

「ワクチンを接種せずに感染して死亡するリスクの方が、ワクチンの副反応で亡くなるリスクと比べると10万倍高いのです。それに____ 」と、彼女の口元が一瞬少し緩んだ気がした。そして彼女は言った。

「血栓ができるのはほとんどが、若い女性です!!

…観念して、ワクチンを投与して頂いた。これから2週間後くらいに効果が表れ始めること、今からも普段と全く変わらぬ生活をしていいけれど、今日明日中に頭痛や筋肉痛、だるさを感じたら痛み止め(ドリプランなど)を飲めばすぐに治ること、ワクチンを打ったからと油断をせずにマスク、人との距離は忘れずに等々説明を受け、15分控え室でぼんやり座って休んだのち、センターを後にする。2回目接種日は6月末に予約した。

 帰り道、妹にSMSを送った。

Buji owari, Toriaezu Genkidesu

即刻返事が来た。

 (^O^)/」

ふと見上げると、新緑のパリの街路が美しい。

今日もこうして生かされていることに、感謝。

                      鈴木理香(フランス在、作曲家)

筆者略歴紹介

作曲家。東京生まれで6歳から鎌倉。日比谷友妃子氏にピアノを師事。国立音大大学院作曲科を卒業後渡仏し、パリ国立高等音楽院
(理論科、管弦楽法科、作曲科)を首席で卒業後、IRCAM / EHESSにて博士課程DEAを取得。現在作曲家としてフランスのアンサンブル・
イティネレール、またドイツのマクデブルク歌劇場、ブルガリアのソフィアゾリステン等とコラボレーション多数。
ラジオ・フランス、仏文化省、パリ市、またヨーロッパ国内や南米のフェスティバル実行委等からの委嘱を受け楽曲を発表する傍ら、
パリ市立音楽院Jacques Ibert 他で後進の指導にあたっている。

筆者の作品のいくつかは、ParisHenry Lemoine社と、Clermont ferrandAlfonce production社から出版されている。 


 真理のパリ便り  


皆様、

今が一番美しい日本でお元気にされていることと思います。
こちらも日差しが
だんだん春
らしく
なり、
我が家の近所の我々の散歩道、
ウルク運河の鴨の赤ちゃんの誕生も見られようになりました。

 

 

今日はロシアにまつわるお話2つのうち、
その1を聞いてください。  (右上へ ⤴ )

その1 ノヴォシビルスク

パリ発羽田行きの我々の愛するANA
パイロットの体調が急変してNowosibiriskに急遽着陸したとのこと。パイロットの
体調が良くなってることを祈りますが、
私はこの国ロシアに大変な思い出があります。2007年私はNowosibirskの弦楽四重奏団からクリスマスコンサートで共演しようと招待状を受け大喜びで 送ってきてくれた飛行機券で1人でパリから出かけました。モスクワに着きそこで飛行機を変えることは プログラムと日本人の私に対するオマージュの

知っていましたが、飛行場も変わることを    コンサートのチケットの写真               
言ってくれてなくて、モスクワの飛行場の人混みの中でウロウロ乗り継ぎの飛行機を探しても見つからない、やっと飛行場を変えるためにバスに
乗ってかなり移動しなければならないことがわかったときは後の祭り 
遅しで乗り継ぎ飛行機に乗り遅れました!バスに乗ってからもこれで良いのか不安 英語で一生懸命周りの人に聞いても 真っ白な顔で 顔色一つ変えずに答える冷たいロシア人ばかり。そして次の飛行機を9時間ぐらい飛行場でただ待つしかありませんでした。零下15度ぐらい、暖房はあっても寒い、パリで引き出した風邪がどんどん悪化してゆきました。私は元来丈夫で、あんまり風邪をひいたり コンサートキャンセルとかない人間
なのですが、この時ばかり無事にNowosibirskに着いたときには声が
ほとんど出ませんでした。コンサートは2日後 弦楽四重奏と練習してても声は良くならない そこのマネージャーが病院に行きましょうと連れて行かれました。
Nowosibirsk自体は経済的に豊かな街で近代化してましたが、病院はなんと古い共産国時代のようで、はい喉をみましょうと出てこられたお医者さまもお年寄り フラフラしておられる、でもこういう人こそ腕は確かだろうと覚悟を決めました。その後に起こったことは、今の現代医学では考えられない 先がちょっと曲がってる鉄の長い針のようなものを直接喉に刺されて死ぬ思いでした!おそらく強い抗生物質を塗られたのでしょう、翌日コンサートではなんとか声は出ました。

以上Nowosibirskの強烈な思い出です。

 

長くなるので ロシアのお話その2は次回に。

                    2021年4月21日  小林真理



 

ストラスブールのボルドー広場の木蓮
ても有名です。

今日生徒が病気で休みが多かったので満開を写してきました。

ここまで大きい木蓮は日本ではあまりないと思います。

下の方に写っている人間の大きさと比べてください。

3月29日 小林真理(ストラスブールにて)

 


 

昨日からフランス政府カステックス首相の命令で パリ近郊は感染者が増えて病院が
パニックなってるため
生活に必要なものを売る店以外は4週間閉まる そして10キロ以上の移動は理由証明書がいるというお達しになりました! 外出19時以降禁止です。10キロと
いうとパリの端から端は
10キロ以上になりお弟子さんでも我が家までこられない人が出て
きそうです。そして開いている店というのもスーパーマーケットは大丈夫ですが、木曜日と日曜日に立つ近所の市はどうなるかとても不安です。

なぜなら上の写真のヒラメのムニエルや右の写真の押し寿司にして私がさばいて平らげた
新鮮なあじなどは市でしか買えないのです。

そして我が家にある10年以上使ってる洗濯機の水漏れがあったため昨日 Darty という
電化製品のスーパーに行き早速新しい洗濯機を仕入れ翌日の今朝アラブの元気なお兄さんが配達してくれました。古い製品を同時に持っていってくれて新しいのを設置してくれて
すごい速さの勢いで どのように使うか説明してくれて
15回してくれました。それは
良かったのですが、写真の左上の洗剤を入れるボックスを開けようと思ったら
固くて開か
ない!お店に行ってみて開け方を教わりまた試しましたが、ダメ!開かない。修理屋さんが来るのを待ってます。メイドインフランス
(実は中国かヴェトナム?)はダメです。


小林真理 2021319

 

 


小林真理氏経歴

鎌倉生まれ。メゾ•ソプラノ歌手。幼少期からピアノ、作曲を始め、四谷雙葉小・中・高校、東京芸大(声楽科)、同大学院卒業後、
仏政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院に留学。同院卒業後、フランスを拠点に幅広い演奏活動( ブーレーズ、ロストロポーヴィッチらの指揮者のもとに歌う )を続ける傍ら、ストラスブール音楽大学の専任教授ほかフランス各地、オランダ、日本などで後進の指導にも情熱を注いでおられる。また演奏活動を始めてから東京芸大でメシアンの歌曲の演奏と論文により博士号も獲得している。ご主人AlexandreCZASTKIEWICZ氏も当会在仏会員。

 

 

 

   


 当会在仏特別会員の菅佳夫氏からの情報誌は昨年10月号より昨年8月号まで本欄に掲載し、会員の皆様には毎号興味深くお読み頂けたかと確信しております。然しながら、菅氏が昨年8月22日パリ郊外のご自宅で逝去された旨の悲報がもたらされました。残念ではありますが、菅氏の寄稿は昨年8月号を以て最後となりました。

ここに、謹んで故人のご冥福をお祈り致します。

                       湘南日仏協会 会長  江尻 敬

 

今や絶筆となりました菅佳夫氏からのフランスの情報誌です。

 

★菅佳夫氏のプロフィール    

暁星学園、上智大学卒 

1969年航空会社派遣員として渡仏。

旅行会社勤務等を経て今日に至る。

滞仏50年、「フランス通信」を発信戴く。

「フランス通信」の バック・ ナンバー

「フランス通信」が春夏秋冬の4冊にまとめて書籍として出版されています。